太田尾公民館の紹介
太田尾公民館の紹介
太田尾公民館は、長崎県西海市大島町の西側に位置しており、約230名の太田尾という集落にある自治公民館です。 太田尾公民館から見る、五島灘に沈む夕日が特に綺麗です。 かの有名な映画監督(Y・Y)が大島に訪れたとき、百合岳公園から見る崎戸島~五島灘~平戸島の眺めはエーゲ海のようだと発言されました。 |
西海市大島町は、急峻な地形を利用し、約400年前の旧大村藩においては、頑強な軍馬を育てるための放牧がなされていました。特に、太田尾には、馬が外に出ないように囲んでいた馬垣の後が残っています。また、太田尾には長崎市外海町から移住してきており、住民の半分近くがカトリック教会の信者で、信仰のための太田尾教会が建造されています。
大島町の昭和30年代は、石炭の採掘が行われ(昭和45年閉山)、最盛期での人口は、約1万9千人いました。しかし、閉山後は、最盛期の人口の1/4近くまで激減しました。その後、大島造船所の誘致に成功し、昭和49年に操業が開始され、島に活気が戻りました。
島民の永年の夢であった本土との架け橋、「大島大橋」(1095mの斜張橋)が完成し、平成11年11月11日11時11分11秒に開通しました。大橋によって大島町は、本土との大交流時代が訪れました。そして、平成17年4月1日、平成の合併ブームに乗って、大島町は隣町の4町と合併し、「西海市」となりました。その後、大島大橋の通行も平成23年4月1日より無料となりました。
太田尾地区では、炭鉱閉山後の昭和45年に、島を出ていった人にふるさとの状況を知らせようと、ふるさと便り「おおだお」を当時の青年会が発行(2022年1月現在、第55号まで発行。)を始めました。当初は、盆と正月の年2回発行していましたが、現在は、正月の年1回発行としています。
また、公民館便りの発行を、昭和51年4月15日より干場公民館長を中心に発行を開始しました。編集の充実を図るため、昭和61年7月に太田尾公民館だより編集クラブを結成(編集長:山戸満)しました。
昭和61年には、青年会が解散となり、ふるさと便りの発行を継続するため、地区内の有志で編集クラブを改め「太二会(第2土曜日に集まり編集をする会)」と名付け、年1回のふるさとだよりの発行を引き継ぎました。(第20号より担当)
太二会は、毎月発行する公民館だよりも引き継ぐこととなりました。2022年4月現在で第534号となっています。
太田尾の公民館活動は、継続が力なりと、公民館運営委員会の役員を中心に活動しています。
昭和45年のグランド整備を機に始まった太田尾ふれあい運動会(平成30年5月で30回開催,現在コロナで中止)や、昭和50年から始まった「太田尾敬老文化祭を毎年開催しています。(令和元年11月で44回目,令和2年,3年はコロナで中止)また、太田尾子供会は、2度に渡って全国表彰を受けています。
青少年育成国民運動40周年記念青少年育成功労者等の顕彰 団体・グループの部 表彰(平成18年11月11日)
内閣府特命担当大臣(小渕優子)賞全国善行青少年団体表彰(平成20年11月27日)です。
他の地区と違うのは、太田尾子供会には、高校生も全員が入って地区行事に参加をしています。(特に、節分豆まきには率先して参加、ふるさと便りには「僕の夢私の夢」や「表紙絵」等の投稿を行っています。)
その他、正月の1月2日に体育部及び育成部運営の「新春マラソン大会」、1月7日(1月の第2日曜午前中に変更)に育成部運営の「鬼火」、2月3日(令和4年はコロナで中止)に「節分豆まき」が行われ、8月14日(令和2年,3年はコロナで中止)には、故人となられた方の供養と地区民の親睦を図る、「太田尾盆踊り大会」を開催しているほか、運営委員が企画立案する「魚掴み取り&バーベキュー大会」やグランドゴルフ大会、パークゴルフ大会(令和2年,3年はコロナで中止)を開催するなど、色々な活動を率先して行っています。また、佐賀県や福岡県より自治公民館長さん達が公民館研修で訪れ、交流を図るほか、地区の運営委員等が他の公民館を訪れ研修(2年に1回)をさせて頂いています。交流を希望される方は、メール(aki-imamu@outlook.jp)でお知らせ下さい。
太田尾地区のデータ 資料編へ
年月日 | 男 | 女 | 計 | 世帯数 |
---|---|---|---|---|
R4.1.1 | 93 | 136 | 229 | 100 |
H31.1.1 | 104 | 147 | 251 | 111 |
H23.1.1 | 122 | 170 | 292 | 119 |
H22.1.1 | 133 | 175 | 308 | 118 |
通算:6063 今日:2 昨日:0
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